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本府構想のモデル

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 この二つの図を総合してみると、官地と民地の区別、官地を含む本府一帯が土塁や堀そして河川湿地帯に囲まれていること、官地は役所としての本府の南側に官宅群を配置し、一見して古代の都の役所である大内裏と官宅群の形式に近い。しかし内裏のような天皇にかかわる区域がないこと、藤原・平城・長岡・平安と四代の都に踏襲された条理制が明確にあらわされていないこと、本府の前面に明確な大路を持たないことなど、古代の都との差は大きい。役所としての城と官宅を区別し、城の周囲の一~四面に官宅を配置するという形状は、近世の城下町の一般的形式となっていた(日本都市史入門Ⅰ)。島判官は、おそらく近世の城下町を考慮にいれて構想したものと思われる。特に土塁で区切られているとはいえ、民地を本府地に隣接した本府区域内の街区画内に配置する構造は、島判官の出身藩佐賀藩の城下町である佐賀の都市構造に類似している。