四年四月、函館在住のプロシャ人ガルトネルが七重村で飼っていた豚牡牝四頭を購入し、元村(札幌村)の牧場に移したのが札幌での養豚のはじめである。しかしこの頃の飼育法も不備で繁殖は少なかった。七年中、東京及び七重官園から米国輸入の種豚サツフォーク、バークシャー牡牝計五頭を札幌村に、翌八年にはさらに三四頭が移され、繁殖の試験を行ったが畜舎がせまく成績は不十分であった。九年九月札幌官園内に面積三二〇七坪余の養豚場を設けて札幌村の豚をすべてここに移した。舎内区画三〇の豚舎、火腿(ハム)製造の烟室をたて、放豚場を八区にわけた。場中は樹木うっそうとして盛夏も陰を作り、清泉が湧き出し水浴に便であった。その後も豚の移入と繁殖、ハム製造等を続け、十三年には一八二頭がいた。十年十月家猪貸与規則を設け、民間に本場の豚を貸し付け繁殖を試みたが、ほとんど利用されなかった。