同院の設立経過は前二寺、あるいは後述の経王寺等に比較して単純である。すなわち十一年四月十日付で、「教導職布教巡回之節、下宿万端弁宜之為」(寺院教導録 道文二四七九)という理由で津軽通石川栄助宅の内を借受け、「小樽港本願寺別院仮出張所」を設置したい旨願い出て許可された。ついで同年六月に同所の建築届が提出され、ただちに説教も開かれたが、同年九月、さらに津軽通二七番の堤喜信寄進地に移転し、表口七間、奥行八間半の仮堂建築の届出がなされ、十一月に新築移転した。
翌十二年四月、同仮出張所を別院に引直し願が出され、六月十一日付で許可を得た。地所八一〇坪、在堂人員役僧二人、番僧二人など、檀家戸数八九戸とされている(寺院教導書類 道文三一二五)。