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開識社

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 九年十一月、札幌農学校生徒一九人が調所校長宛文学会(Literary Society)の設立願を提出した。その目的は「私共の智議を開発し、又同時に英語並びに日本語を以て弁論し、且つ文を草するの術に熟練せんため」(逢坂信忢『クラーク先生詳伝』の訳による)で、教頭クラークも同時に推薦状を書いたが、むしろクラークの慫慂によったといわれる(同前)。これによって開識社が設立されたが、最初はクラークの強力な指導の下に始まり、規則等はクラークの起草になり、かつ実際面でも「演壇に立ちし時の態度、姿勢より音声の抑揚に至るまで、一々やってみせられた」(同前)という。
 同社の活動はクラークが去ったのちも、その性格について種々の問題を抱え、退会者が続出するなどの現象も経ながら、長く昭和に至るまで続いた。