前節で指摘したように、道路等の公共施設設備に対する整備の要望は大きかった。そのため二十年代初期の市街道路の改修で、砂利敷きを手始めとして、道庁、区役所も順次道路の整備を進めていった。だがなかなか市民の要望通りには改修されず、沼地のようになっている道路に馬車が沈み込んでいるなどの新聞記事が散見できる。雨が降ると泥沼化する道路は、市道の舗装を積極的に進める昭和四十年代までは、札幌市中どこにでも見られた。現在の道路のようなコンクリートやアスファルトなどの舗装が道路として最適であるかは別にして、この時代の砂利敷きは道路の根本的な改修とはなっていなかった。
前記道庁の二十一~二十三年度『事業功程報告』に記載されているとおり、道庁時代初期には市街道路の整備開削が行われた。この過程で道庁周辺が市街に区画され、道庁の敷地は現在の敷地に縮小された。市街の拡大の項でも述べたとおり、この明治二十年は鉄道線路以北を除き、周辺の町村と市街を接するほどに拡大した。その市街区画の拡大は、それにともなって市街道路網が拡大したことを意味する。