十九年九月、札幌紡織場内の機織室、地所、建物、機具を
安田徳治(南一西四)に五年間貸与し、貸下物件に対する抵当として該価額の半額金六六六円に相当する公債証書、地所、建物を差し出させ、貸下料として一カ年の純益金五パーセントを納めさせることとした。しかし営業一カ年後の概況は絹織物、絹綿交織及び帯地、鼻拭(ハンカチ)等の製品、代価二六六三円余に対し、経費は二七二九円余、収支差引六五円余の損失を出したが、翌二十一年には糸織紬、甲斐絹(かいき)、太織紬、縮緬絹、綿交織を合わせ四五九反、博多織帯地、小倉織帯地を合わせて九五筋及び鼻拭二五八七枚を織製、代価二九〇一円余、収支差引一三二円余を益し、その販路は製造地七分、函館三分、よって一応事業継続の目処がついたので、二十一年十一月安田は願書を出し、二四一円八九銭六厘で払下げを受けている(
北海道庁第一~三回勧業年報)。しかし経営は順調とはいえなかった。二十三年の生産高と経費は表5のようであった。製品について従来もっぱら縞地を生産してきたが人びとの嗜好に合わないようなので、今後は単に白斜子(シャツ)、鼻拭地(ハンカチ)の生産に変えたらしい(
北海道庁第五回勧業年報)。翌二十四年は一四〇円七六銭三厘の利益をあげたが、将来製糸専業の意向を示している。
生産品目 | 生産高 | 収入高 | 支出高 |
絹布 | 400反 | 3434円51銭2厘 | 3430円29銭4厘 |
鼻拭地 | 1850枚 | | |
男女帯地 | 58筋 | | |
差引利益 4円21銭8厘 |