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書画骨董会等

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 前編に記したように、区内文人墨客によるこうした名称の会合は、少なくとも明治五年から催されてきたが、この時期に至ってもさかんに開催された。新聞紙上でもすでに二十年三月に「書画会及美術展覧会」の名でみえるが、内容は区民所蔵品の展示であって、のちの美術展覧会ではない(北海新聞 同年三月十九日付)。以降も「書画月琴会」、「琴棋書画会」、「書画展覧会」、「書画展覧囲碁会」、「文墨会」など種々の名称のものが開催されているが、内容は書画の展示、書・画家の揮毫、作品の販売で、その他琴などの演奏や囲碁等の加わる場合が多かった。また、二十九年一月十四日付の『道毎日』は、「札幌書画会」の記事中「同会は一昨年来毎月第二の月曜日」に開催されてきたとあり、同二月二十五日付には「連月書画会」の見出しで紹介されている。さらに三十一年には「無声会」という名の書画展覧会の発会式の模様が報じられており(道毎日 同年十一月三日付)、それまで不定期に開いていたものの定期化、あるいは組織化のみられることが一応の特色といえよう。
 また三十年十二月頃に、「当地」在住の画家秩父柳波が「研美館」なるものを設け、毎土・日曜日に絵画を教授することとした(道毎日 同年十二月三日付)という。