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開拓使札幌本庁舎の石材使用

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 この達書は札幌本庁舎および御雇外国人宿舎、官員住宅の建築の石材使用方針の変更を承認したものである。「開拓使札幌本庁建築関係図」(北大図)中には、「本庁建地妻之絵図」の石造南立面図と無題の正面(東)立面図の二図があり、事実、石造(後記のとおり石張り造)の庁舎の設計が進められていたことを示している。また無題の短計図には石積みの布基礎を採用し、地盤上高さ二尺四寸を三段積みとした構造であったことを示す(地盤下の布基礎の深さは不明)。このほか本庁庁舎にはストーブ暖房用の石造の煙突を一一基築造した。この煙突の石材については後に再び触れる。
 立面図の石張り造は、木造の骨組に薄い石材を張りつける構造形式である。明治初期の洋風建築に一時期さかんに用いられた構法で、明治四年着工、翌五年完工の東京兜町の為換座三井組御用所(のちの第一国立銀行・清水喜助設計)、五年九月開通の新橋横浜間鉄道の新橋ステーション、横浜ステーション(米人ブリッジンス設計)の構造が石張りの形式であった。後年の事例となるが、明治二十年初頭から小樽の港湾沿いに多数建った営業倉庫の構造も、この石張りに類する構造形式であった。現行の構造形式の呼称では木骨石造と呼んでいるが、右の石張りの構法と木造の骨組の間に石を積め込む構法(英語でハーフチンバー構造。ヨーロッパの中世建築に多い)とがあって、石材だけで壁体を造る「石造」の構造形式とは異なっている。開拓使札幌本庁庁舎は木造石造で計画されたことが、前記の本庁庁舎の建築関係図で明らかとなっている。なおレンガを用いた木骨レンガ造もあり、十六年札幌駅前東側に建った鉄道のレンガ造倉庫が同構造であった。
 こうして開拓使札幌本庁庁舎は石張りの仕上げを断念し、アメリカの当時の木造建築の外壁構造手法である下見板張仕上に変更する。開拓使の洋風建築、たとえば時計台(札幌農学校演武場)のペンキ塗りの外壁がそれである。
 開拓使札幌本庁庁舎の煙突の石材は、北海道現庁舎の建築工事の際に一部が残存していることが発見され、昭和四十三年四月から五月にかけて、道の委託により開拓使札幌本庁舎跡調査団(団長高倉新一郎)によって発掘実施され、同年八月報告書が提出された。発掘された石材は煙突の基礎の割栗の切石で、長方形の厚さ約一〇センチの切り石を三枚ずつ並べて使っている。岩質は、北海道地下資源調査所の岩質調査により、予想された円山産安山岩ではなく、藻岩山麓産出の含石英普通輝石紫蘇輝石安山岩であるとされた。調査団の報告書は河野常吉の記録中に「明治五年発足別ニ適当ノ硬石ヲ発見シ直ニ採掘ニ着手シ、八月札幌ヨリ二里半ノ道路ヲ開ク」の記述があり、年代的にもほとんど一致することから、八垂別(硬石山)の露頭から運んだものと考えてよい(開拓使札幌本庁本庁舎跡発掘調査報告 一九六八・八)。