穴ノ沢の軟石と八垂別の硬石は初め馬に駄載して運ばれ、やがて馬車で運んだという。需要が増大し運搬量が増加したため、明治三十七年石切山から石材を搬出するための札幌石材馬車鉄道合資会社が創設される。四十年株式会社に改める。穴ノ沢から札幌駅の間の軌道が敷設されるが、そのルートは穴ノ沢から豊平川に沿って少しさかのぼる位置で豊平川を横断し、石山通(西一一丁目通)を北進し、北五条通を右折して東進し、札幌駅に達した。後年、北五条通から西七丁目通を南進し、南一条通を経て西一一丁目通に接続するコースに変更される(札幌区「札幌大地図」大7・9刊、札幌市中央図書館蔵)。四十五年、乗客運輸を計画し札幌市街軌道株式会社と改称される。今日の市営電車軌道の前身となるのである。