札幌村は明治三十五年(一九〇二)四月一日、札幌村、苗穂村、丘珠村、雁来村の四村が併合して二級町村制が施行されて成立した。この年の戸数は九〇二戸、人口は四一六七人であった(北海道戸口表)。村内は四旧村が大字に編成され、村内は三十五年十月に八部が置かれたが(北タイ 明35・10・5)、『札幌村史』によると大字札幌村に元村、中通、新川、列々布、大字苗穂村に苗穂上、苗穂下、大字丘珠村に丘珠、大字雁来村に雁来の八部である(当初は第一部から第八部までの番号で呼ばれていた)。
四十三年四月一日に市街化されていた札幌村、苗穂村の一部が札幌区に編入された。この後の札幌村の広袤は東西一里一〇町(約五キロメートル)、南北一里三二町(約七・四キロメートル)、面積二方里六三(約四〇・一平方キロメートル)であった。
札幌村は全域が平坦な沖積地であり札幌区に近接した都市近郊農村として発展する一方、都市近郊住宅地、あるいは小工業地としての役割をにない、大正十一年には戸数一三〇二戸、人口七〇六二人という〝大村〟に成長していったのである。