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都市近郊農村の特性

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 札幌村は札幌区に近接していただけに、都市近郊農村として早くから蔬菜栽培がさかんであった。特に村一番の農産物である玉葱が有名であるが、そのほかに「甘藍、牛蒡葱、茄子、菜豆、南瓜、西瓜、胡瓜」が挙げられている(札幌郡調)。玉葱は「日清戦役前ニアリテハ只地方ノ需要ニ供給スルニ過ギザリシ」(同前)状態であったが、明治三十年以降は京浜地方、ロシアのウラジオストックなど国内外に輸出されるような特産品になっていった。明治三十四年頃は札幌・丘珠村を中心に一〇〇戸ほどが玉葱栽培を行っていた。一反歩につき八〇円から一〇〇円の収穫であったというから高益性のある作物であったが、「熟練スルニアラザレバ善良ナル品ヲ産出セシムル事能ハズ」(同前)とされ、栽培には相当な熟練が必要とされていた。三十七年に武井磯吉吉村佐太郎山口和三郎が中心となって品質改良、販路拡張を目的として札幌村玉葱輸出組合が設立された(組合員二四人)。四十二年の組合員をあわせた栽培面積は一六〇町歩、生産額は八〇〇万斤に及んでいた(北タイ 明42・11・27)。組合は四十五年に解散となったが、代わってまもなく札幌村玉葱出荷組合が設立されている。

写真-1 札幌村の特産品であった玉葱の取入れ風景(大正初期)

 札幌村では四十三年の場合、既成耕地三一五二町歩のうち二八二四町歩が燕麦、玉葱、小麦、亜麻、大小豆、果実、蔬菜類であり、農家六八三戸の約五分の一は蔬菜栽培に従事していたという。蔬菜の主なものは玉葱、人参、牛蒡、永芋等であった(殖民公報 第六三号)。また大正九年では三二一四町歩のうち、燕麦(一三二二町歩)、豆類(四二二町歩)、玉葱(三五八町歩)、牧草(二九六町歩)、麦類(二六六町歩)、水稲(一四〇町歩)などであり、蔬菜は三三町歩と少ない(札幌村勢一班)。大正期には蔬菜が収益のよい玉葱に転換していったとみられる。
 燕麦が多いのは、明治四十二年に陸軍糧秣本廠札幌派出所が大字雁来村に設置され、買付がなされていたことによる。三〇七町歩という広大な面積をもつ北海道帝国大学第三農場をはじめ、佐藤・後藤・橋場農場などでも主に燕麦が作付されていた。また牧草が増えているように酪農が副業としてさかんになっていくが、牧草の多くは陸軍糧秣本廠の買付用に栽培されていたものである。