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都市化する村西部

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 大正十年に札幌村の住民の一部からは札幌区への編入陳情が行われているように(北タイ 大10・2・4)、札幌区の発展に影響されてこの時期にいたると、区に隣接する村西部の地域は都市的様相を呈してきていた。
 工場では大正六年二月に下駄製造の札幌機械下駄製造会社、七年七月に製材製函の奥山木工場、同年十月に横山肥料製造場、八年十月に醬油醸造の福山工場などの工場進出が相次ぎ、工産額の急増はめざましかった。また明治四十四年九月に天使病院が開設され、大正十一年九月に北海高等女学校が移転されるなど諸施設もみられるようになってきていた。
 大正九年の職業別戸数をみると全戸数一〇二〇戸のうち、農業を主業とするものは五九九戸で五八・七パーセントであるが、商業は一一三戸(一一・〇パーセント)、工業九九戸(九・七パーセント)、公務及び自由業八一戸(七・九パーセント)、労働日雇・雑業一〇七戸(一〇・五パーセント)となっており(札幌村勢一班)、村民の生業や生産構造が大きく変わりつつあった。