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明治三十一年の大洪水

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 篠路村の北部から北東部にかけては石狩川が蛇行して流れ、発寒・篠路・茨戸川の諸河川が茨戸付近で集まって石狩川に注いでおり、いまだ十分の堤防施設がない時期であっただけに、連年のように洪水が村を襲っていた。特に三十一年は四月、七月、九月の三度にわたり水害に見舞われ、壊滅的な打撃を受けた。
 四月は茨戸太五〇戸、札幌太二〇戸、釜谷臼二〇余戸、山口開墾四〇余戸、中野開墾四四戸、ビトエ二〇戸が浸水被害を受け、二四〇町の農地が冠水にあった(道毎日 明31・5・3、7)。いまだ播種前であったので被害は少なかったが、七月は四四七町歩が被害をこうむり、成育期の農作物を直撃したのである。そして一六一戸に浸水し、「一ケ年の食料を失ひ一家糊口を維持するに途なく路傍に泣涕するの境遇に陥りたり」と報道されている(道毎日 明31・8・3)。この惨状に追いうちをかけるように三度目の水害が襲った。被害状況は表1のとおりであるが、床上・床下浸水が七一〇戸、流失家屋・潰家が四二戸、合わせて七五二戸が被害にあっている。村内戸数八四四戸のうち、実に約九割にも被害が及んでおり、茨戸太では「七月中洪水後辛して播種する蕎麦は勿論、諸作物の如き腐枯に属し今や愁眉の急なり」といわれていた(道毎日 明31・9・10)。このたびの大洪水は全道的なものであったが、篠路村の被害も甚大であった。十月には被災者の三七三戸から賑恤願いが出されたが、洪水は篠路村の人口激減の大きな原因となっていた。
表-1 水害調査表
戸数貸下未墾反別作付反別浸水反別耕作物皆無反別床上浸水家屋床下浸水流失家屋潰家流失家畜焚出救助人足人救助米給与石数
シノロ本村240戸400町800町600町430町192戸12戸―戸1戸 815人158石
茨戸75300300300754551350
山口開墾431701701704325馬120438
当別太17432050044040015041213馬1787130
中野開墾9218032020016043721220
兵村2207005704501374777140
8449002790228019106407018243302
雁来8816034026018060715734
苗穂37010060030015012860
丘珠18218073032026058521736
『札幌郡調』(北大図)より作成。