藻岩村の農地面積は大正十二年の場合、約一五三四町歩(このうち水田は四一町歩)であったが、藻岩村は札幌区への野菜供給地であるだけに、蔬菜栽培地は二三四町歩に及び、馬鈴薯、茄子、南瓜、胡瓜、葱、漬菜などが多かった。大正七年に円山と伏見・山鼻の生産者を糾合した藻岩村蔬菜組合が創設されたが、十二年の組合員は四二〇人に達していた(藻岩村勢一班)。これは藻岩村の農家戸数三六四戸を上まわる数であるが、ほとんどの農家ではなんらかの蔬菜栽培に従事していたといえよう。
円山の朝市は円山の名物であり、円山野菜は札幌区内でも評価が高かった。明治二十年代に南一条西一〇丁目付近に市が立つようになり、やがて市街地の膨張につれて西一五丁目、西二〇丁目、西二四丁目(藻岩村役場前)へと移動していった。大正七年に二七〇余人の生産者により円山村蔬菜組合が設置され、四月に西二五丁目通に円山蔬菜類販売所が開かれた。十一年四月には再び西二四丁目通に移転するが、戦時中の経済統制により昭和十七年四月に廃止となるまで(円山百年史)、市民の野菜市として親しまれていった。