これまで札幌区近郊の七町村の状況をみてきたが、この時期は各町村とも新たな近代化を遂げつつあり、また歴史的経過、地理・地形的条件、札幌区との遠近による関係性などにより、それぞれ異なった推移・変貌をたどっていたのである。ただそれらの主因となったのは、二度の戦争を通して成長を遂げた日本経済のあり方とともに、何よりも札幌の発展が大きな関係をもち、影響を与えていたといえるであろう。このことは経済・産業、社会、文化、政治などのすべての分野にわたり緊密で広域な活動エリアである、札幌区を中心とする札幌圏が生成されていたことを意味するであろう。
当時の近代化に向けて変貌する諸町村の動向は、以下の三類型がみられていた。①都市・市街化という地域景観と社会構成の変貌。②工場・都市通勤者の進出という産業・社会構成の変貌。③都市へ蔬菜、工場へ原料作物の供給地化という農業経営・構造の変貌。①はたとえば明治四十三年に札幌区に編入された苗穂、豊平、山鼻、上白石などの地域があげられ、この傾向はこれ以降も続き、札幌市が他町村を吸引していく大きな理由となっていく。②は札幌区周辺地域のみならず、交通の便があり原料供給地を控えた鉄道沿線の軽川、琴似、白石、厚別駅周辺にも広がっていく。③は七町村のすべてにみられた動向であり、その中にあって地質・土壌・地形的条件により各町村の特産物も生まれてきていた。
このような動向は逆にいえば、札幌区の発展や維持は諸町村との依存関係で成り立っていたのであり、札幌圏の生成は相互の発展基盤として欠かせないものであったみることができるであろう。