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酪農経営の成立

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 以上のブリーダー層に対して、農民レベルでの酪農はこの時期どの程度まで進展をみせたのであろうか。ここでは、大正七年に新聞に掲載された札幌村と琴似村の酪農経営の動向を紹介しておこう(北タイ 大7・6・21)。まず、両村の畜牛の動向を示したのが表32である。もともと札幌村は搾乳業から出発したのに対し、琴似は肉牛生産から転換したものが多かった。酪農への転換は明治四十三年の肉牛価格の下落を契機としており、以降急速に頭数が拡大し、大正六年には札幌村では五一九頭に、琴似村でも七九五頭に達している。牛種も転換して、札幌村ではホルスタイン種系は大正二年の七頭から一五四頭となり、エアーシャー種系も六八頭から三六五頭となっている。ホルスタイン種の売行きが良好のためその導入が進んでおり、エアーシャー種系牝牛にホルスタイン種牡牛を交配して雑種化が進んでいる。これは、乳量が高いこととともに産犢価格が高いためである。札幌における練乳場では生乳は乳量取引であり、乳脂肪分は配慮されないからである。
表-32 畜牛飼養頭数の動向
札幌村琴似村
明42130頭129頭
 4378200
 44137223
大 1182283
  2198244
  3302297
  4360407
  5418489
  6519795
『北タイ』(大7.6.21)より作成。

 こうした中で、一戸当たりの飼養頭数が増大し、自給飼料の不足を来たしており、粗飼料の購入さえも行われている。酪農家一五戸の調査によると、畜牛は九七頭、搾乳牛は七六頭であり、一戸当たり搾乳牛は五頭となる。一頭平均の支出は一二〇・三八円で飼料費のみで七五・一九円にのぼり、一カ月の一頭の飼料費は六円となる。一頭の収入は一五二・五九円であり、純益は三二・二一円となるという。この数字の飼料費には、自給飼料も金額換算されて含まれているので純益は低く現れているが、実際にはかなりの高収入が見込まれたという。