大正二年大凶作は、「凶作恐慌」とでもいうべき様相であった。農村はもちろん札幌区経済も多大な影響を受けた。札幌商業会議所はその影響を次のように指摘した。
札幌区商工業者の仕入が、例年より困難の度を一層加へたる原因とも観るべきは、本道の凶作の声が内地都市に於て余り太だしく喧伝せられたるに在るなきや。蓋し内地の卸問屋又は材料供給者は、本道の商工業者に対する送荷又は供給の警戒を為し、送荷を手控へられたるの観あり。為めに区内に於ける商工業者の一層の困難を致し、益々不景気に不景気を添へたるの観なからずや。
(北タイ 大3・6・28)
すなわち大凶作の評判が、内地問屋の札幌商人に対する信用を減退させ、送荷の減少となったというのである。このことが事実とすれば先の図1にみられた大正三年の鉄道到着貨物数量の激減と照応している。農村経済と緊密な関係をもつ札幌商業界は凶作の直接的影響のみならず間接的な影響をも受けなければならなかったのである。