札幌区における商品移出入を個別商品について検討しよう。農産品に計上された品目は延べ一六品目にのぼる。主要な移出商品は雑穀、燕麦、麦、蔬菜である。蔬菜は時期によって玉葱、生野菜と分離されて表記され、数量も両者が相半ばしている。一方農産品の移入商品は米が首位で、次いで雑穀、燕麦、麦である。このことから雑穀、燕麦、麦は札幌が中継地となっており、鉄道で入ってきたものが再び鉄道で出ていくこと、米は札幌区内で消費され、玉葱などの蔬菜は近隣から、おそらく荷車等で搬入され鉄道に積み込まれることが推測される。畜産品の内訳は牛と馬で、移出・移入ともに見られる。
水産品は、塩干魚と生鮮魚に分かれ、大幅な移入超過であるが、一部は再移出されている。移入は過半が生鮮魚であるが、移出は塩干魚が生鮮魚を上回っている。移入した生鮮魚を加工するか、塩干魚を移入し再移出していることが推測される。林産品は四品目あるが、圧倒的に移入超過である。そのなかでも木材移出が木材移入の約三分の一ほどあることが注目される。これは「木材は当地に於て更に加工の上搬出せらるゝあり。其まゝ札幌駅より各地に供給せらるゝあり」(北タイ 明43・8・18)といわれるように、札幌区内の製材所で加工し、移出したものと思われる。鉱産品は六品目あり、やはり圧倒的に移入が移出を上回る。そのなかで移出品の大部分は石材である。札幌軟石であろう。このように水産品、林産品、鉱産品は、移入超過を示し、札幌区内消費を基本としていたのである。
工産品のうち、まず食料品は一一品目からなり、ほとんどの年で移出が移入を上回る。移出品は洋酒、粉類、和酒、味噌醤油であり、いずれも札幌区内の代表的工業製品である。移出先は「各炭山所在駅苫小牧早来滝川」(北タイ 大3・2・3)といわれているように、内陸部と太平洋側にまで及んでいる。一方移入品は、砂糖、塩、和酒、味噌醤油である。繊維品は三品目あり、移出にはほとんど見るべきものがないが、移入は綿織物、絹織物である。肥料は四品目あり、大幅な移入超過で、周辺農村に需要されたものと見られる。窯業品は四品目からなり、セメント、煉瓦が多く、煉瓦はほぼすべて区内で消費されるが、セメントは移入分の三分の一から二分の一が再移出されている。その他工産品は七品目あり、明治四十年から四十二年まで移出入ともに多いが、これは「雑貨」という名で一括されているものがあったためである。これ以後「雑貨」は具体的品名に変わり「雑貨」の数値はなくなる。雑貨以外では、移出においては銅鉄材、移入においては銅鉄材、縄莚(藁工品)、和洋紙などが主なものである。大正八年以降には藁工品の移出が移入数量の三分の二ほど見られる。移入品の再移出なのか、あるいは移入品とは別に周辺農村の生産品が移出されたのかわからない。工産品は、区内工業の製品移出や移入品の再移出がある程度行われたため、移入超過の幅は小さかった。
札幌における貨物集散の特質をまとめれば、全体として移入が移出を上回り、かつその差はしだいに拡大したこと、農産品における中継地、工産品(食料品)における産地という性格をもつものの、区内消費を目的とした商品流通が主であることであろう。