先づ南一条通に向った入口から一階の陳列部に入ると、建築のそれと等しい磨楢材の飾棚は何れもセヽッションで新しく流行ってゐる例の結晶式象篏が色も面白く施されてあるが際立って眼に着く。右について進めば、化粧品、化粧具から和洋煙草文房具雑誌類子供の玩具、小間物、莫大小類、旅行具、食料品食器、瀬戸物、更に左に折れて来れば、羅紗物の出来合ひ洋服附属品、帽子洋傘、洋品雑貨角巻、造花材料など百花の繚乱たるばかり。
(北タイ 大5・9・29)
以上が洋服部で、二階は呉服部である。下駄は草履に履き替え、靴はカバーをかけて上がるのである。また二階にはホテルの喫煙室のような休憩コーナーがあり、三階は大安売りの均一品売場と絵画展示スペース、食堂があった。さらに屋上には庭園があり、札幌近郊の山を背景に観ることができた。
百貨店化と併行して株式会社への改組が進められ、大正八年二月創立総会を開催し、社長には今井雄七、常務取締役に今井久平、直江新太郎、竹山文吉が就任した。資本金は三〇〇万円であった(丸井今井百年のあゆみ 昭48)。