発起人会では早速、会議所の会員資格調査が行われた。調査内容は、直接営業税三円以上の納税者数であった。結果は「概略百二十名」という札幌区役所の予想を大きく下回り、六〇名にも満たなかったことから、この問題は見送られることになった(道毎日 明29・6・19)。
会議所の設立には、商業会議所条例及び同施行規則で規定された手続きの他に、農商務省の内規として定められた一定の基準を超える必要もあった。農商務省の内規によると、明治二十年代の会議所の設立認可基準とは、「一定の財産上の資格をもった選挙権者が一〇〇人以上、設立しようとする会議所区域内に居ること」(商工会92年史)であった。したがって、二十九年の資格調査で規定納税者が六〇名に満たなかったことは、会議所の設立認可基準からいえば遠く及ばず、同じ年に函館、小樽で会議所の設立が認可されていながら、札幌では申請できなかった理由といえる。
この後、俱楽府は「僅かに一名の番人を置き漸く命脈を保持」(道毎日 明30・1・26)するという不振な時期を迎えており、新聞紙上で見る限り、会員資格調査は三十一年三月二十六日まで行われていない。会議所会員の選挙権被選挙権に関する財産上の資格は、三十年一月二十三日地方税の一種である営業税が直接国税に移されたことを受けて、「直接国税五円以上」(農商務省令第二号)と改められたが、三十一年の資格調査の結果は公表されなかった。