明治三十五年札幌停車場は、付近農村の発達とともに貨物の集積が増加してきたため狭隘になりつつあった。しかし札幌停車場付近は市街地化して住宅が増え、現在地では貨物倉庫などが増設できないので、札幌厚別間中央辺、札幌駅より三マイル五六チェイン(六キロメートル弱、一マイルは一・六〇九三四四キロメートル、一チェインは二〇・一一六八メートル)に
上白石停車場を本年新設することを逓信大臣に申請した。道庁も広島・島松・豊平・平岸・輪津地方の
貨物集散地且つ札幌停車場の補給にもなるとして賛成した(以下北タイ 明35・4・26)。逓信大臣の認可を得た炭礦会社の計画では、停車場は四四坪、便所八坪、貨物庫四八坪、木造で、退避線一二一八フィートなどの設備である(明35・6・4)。その後九月起工の認可を得て着工し、三十六年二月落成、二十五日停車場開始認可申請書を逓信大臣に提出した(明36・2・26)。開業日は四月二十一日である(明36・4・5、北海道鉄道百年史 上)。なお停車場開始後に新聞では、札幌白石間を三マイル五チェインと記している(明36・4・30)が、『北海道鉄道百年史』(上)では、札幌と白石の区間を三マイル四六チェインと記している。
写真-1 白石停車場構内(大10頃)
さらに鉄道の施設としては、鉄道が国有化した後、苗穂に鉄道工場が設置されるが、それとともに苗穂停車場などが設置された(明43・5・12など多数)。