自転車は明治十年代から全国に普及してきたが、札幌では三十五年、調査漏れを除いて一〇〇台の自転車という記録がある(北タイ 明35・7・17)。三十九年には一四三台である(札幌区状態一班)が、大正十一年には六二九五台にまで増えている(札幌市統計一班 大12刊)。全国的には自転車課税台数でみたとき、大正二年四一万八〇〇〇台が、十一年には二八〇万二〇〇〇台となる(自転車道必携 昭55版)。札幌でも全国的状況と同様に、大正期に目覚ましく普及した。
自転車の普及にもいくつかの話題が残されている。三十五年六月、勇ましい姿で自転車に乗る区内の某婦人のことが新聞に載る。その記事は「婦人の自転車乗り」と題され、さらに副題には「当区の率先者」とも記されている。自転車の婦人への流行は、家にこもりがちな婦人の健康促進のために、戸外運動の一つとして適当なものとしている(以下北タイ 明35・6・4)。自転車走行が通行人の妨害となるということで、警察署では自転車取締規則を制定しようとした。また自転車が普及するにつれ、貸自転車が登場した(明35・7・12)。それについて自転車乗りに打ち興じている徒弟たちが、貸賃料をどのように工面しているのか疑問が呈せられ、商工徒弟の自転車は奨励すべきではないという新聞記事まで出された(明35・7・17)。夜間の無灯火走行は事故の危険があるとして、道庁警察部では札幌など三区について、自転車専務取締巡査を置くことにした(明35・7・17)。