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電話設置希望の増加

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 時代の進行と共に、電話の設置は、明治三十三年の交換開始時には一四一件であったものが、四十三年には一〇〇〇件を超え、大正八年には二〇〇〇件を超えているというように、年々増加していった。しかしこの電話の設置は、国家補助負担と個人献金負担とで電話が設置されていたが、時には国家予算が成立しないために、電話増設予定を大幅に下回らねばならない年もあった。したがってこの数値は電話を設置して開通した数値で、実際に希望した数はもっと多かった。例えば大正三年度については、三月に電話設置の募集をしたが、応募者は一五六人となった。この場合応募者は六〇円を寄付金として納めることになっていた(応募時には一〇円)。しかしこの年は予算不成立で、逓信省では予算踏襲額の多くを六大都市へ配分した。そのため本省からの北海道逓信局への令達金額が一万七〇〇〇円だけとなり、申込者全員の開通は無理な状況となった。札幌では応募者の約半数である七一人の増設となった(北タイ 大3・6・2、7・9)。このように希望者に対して実際の設置数は常に下回っていたようで、七年にも札幌局の開通割当一〇〇個に対して、申込みは一〇〇〇人であった。そのため逓信大臣が公益上必要と認めた二個以外について、この年は半数を申込登記順、半数を抽選とした(北タイ 大7・10・1)。さらに九年には予算の関係で一四〇個しか架設できないのに、一三倍の一八三〇余人の申込みがあった(北タイ 大9・9・26)。