札幌は商都としての発展もみせ、職人の人数も多くなっていた。例えば明治四十三年の札幌区区勢調査によると、大工七〇八人、活版工二五三人、石工一〇七人、建具職一六七人などとなっている。また商店などの徒弟もいちじるしく増加しており、商業・交通業の七五四八人のうち、三四六八人は労役者であった。
このような動向の中で、同業者の組合も生まれてきている。あまり事例は知られていないのであるが、例えば三十八年二月に創設された活版技工札幌同志会は、「職工間の親睦を厚ふし協力一致を図り品性を高尚ならしめ、且相互救済する」ことを目的としており(北タイ 明38・2・18)、親睦・研修・互助などを行う組合であった。
また三十九年四月に設立された染友会は、
以上の事項を研究することにしており(北タイ 明39・4・17)、職工の奨励・保護・教育など多方面にわたる活動を意図していたことがわかる。四十三年頃の染物類業は一〇二人いたが、別に組合としては四十二年五月に共愛会を改称して染物業組合が創設されている。組合は組合員の親睦、営業上の便益、相互扶助のほかに、職工の移動手続き、徒弟の褒賞なども目的とされていた。組合員は四十三年で三一人であった(北タイ 明43・2・11)。