臨時村民大会決議録 | ||
大正九年六月村会議員ニ関シ村内ノ紛擾ヲ来シ従来一致美風ヲナセル本部落ノ良俗ヲ維持スルノ善後策ヲ講ズル為メ開催セル 大会ニ於テ予選ニ反対セル許士善太郎氏外□名ハ開議ノ初頭相携ヘテ退場セルヲ以テ左記事項ヲ決議ス | ||
一 | 許士氏外四名ハ部落ノ行動ニ反対スルモノト認メ今後ハ一切部落ノ協議ニ参加セシメザルコト | |
一 | 伍長長谷川、畑、佐藤三氏ヲ解職シ各組ニ於テ伍長ヲ選挙シ部長ニ届出ヅルコト | |
一 | 衛生副長燕麦代表者ヲ推選スルコトニシ宮口部長ノ発議ニテ衛生副長ニ菅井氏燕麦代表者ニ長井氏ヲ満場一致推選承諾ヲ得タリ | |
一 | 部落規約ヲ制定シテ各自署名捺印スルコト | |
一 | 荒木氏ヲ挙村一致シテ補欠選挙ニ投票スルコト | |
一 | 橋場、荒木二氏ヲ本部落公認ノ議員トシ援助スルコト | |
右決議ノ証トシテ一同ニ代ハリ署名捺印候也 | ||
大正九年六月十四日 | (署名者略) | |
(同前) |
この史料にみられるように、大正九年六月一日の村会議員選挙に際して干渉を行ったとされる善太郎は、六月十四日の村民大会においていわば部落から除名される結果となったのである。この時の選挙では一二人の議員が当選しており、その中には許士善太郎と共に湯浅藤吉の名前も見える。ただし湯浅は「六月十二日辞職ノ処荒木兵蔵補欠当選」(札幌村史)と記されており、前述の大会決議を反映した結果となっている。
いずれにしても、善太郎が丘珠地区の中で一時的にせよ「今後ハ一切部落ノ協議ニ参加セシメザルコト」という状況の中に置かれたことは事実であろう。そしてこの同じ六月に、丘珠村小作人連盟が設立されていることも、このことと一定の関わりがあると思われる。にもかかわらず、彼は大正十一年の村会議員選挙で再び当選している。