日本弘道会の創設者である西村茂樹の追悼会が、明治三十五年九月十七日に同会の札幌会員の手で執り行われるが、これを期して逸見文九郎が創立委員長となり、日本弘道会札幌支会が発足した。札幌支会は、日本弘道会の「邦人ノ道徳ヲ高クシ国家ノ基礎ヲ鞏固ニスル」との主旨の達成を目的に、弘道の方法を講求し、会員の交誼を厚くする懇話会の開催を毎年春秋二回と定めた(日本弘道会札幌支会会報)。
大正二年十二月七日には、弘道会少女会として「日本の少女」や「乃木将軍の夫人」といった講話を時計台を会場に行っている(北タイ 大2・12・5)。また『北海タイムス』(大4・4・17)では「弘道会支部現況」として、教育関係者が多い弘道会は、会長である山田札幌中学校長のもと、本道に「精神的拓殖上貢献」しており、札幌だけでなく琴似・円山・銭函などにおける講演会が盛況であると伝えられた。