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創立の目的と「救育」の論理

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 同会は、初等教育課程を修了したアイヌ民族の青少年を対象に、「工芸、技術、農事ノ智識ヲ与へ自営自活ノ道ヲ教ユル」(会則第一条)ことを目的に創立され、その手段として構想されたのが私立実業補習学校(「旧土人徒弟学校」)である。この構想は、前述した小谷部のアメリカ留学から生まれた。その根底には「手工業的及び農業的労働が、すべての教育の基礎」(ベッケル 列国の植民地教育政策)と考える黒人教育の思想が存在していた。
 この私立実業補習学校は、学校階梯のなかでは中等教育機関に位置する。「北海道旧土人保護法」では、アイヌ小学校という初等教育機関の設立のみを規定している。この点から考えて、同会の構想はアイヌ小学校と連続させる教育機関の設立を想定していない「北海道旧土人保護法」を補完する役割を担っていたといえよう。
 それでは、同会はどのような立場からアイヌ民族の教育を考えたのであろうか。それを探ってみよう。「北海道旧土人救育会趣意」には基本的な考え方が述べられている。
北海道旧土人タル『アイヌ』モ日本国民ノ一部ナリ。等シク明治聖代ノ沢ニ浴シ乍ラ他ニ比シテ自由ヲ得ルコト少ナキハ何ゾヤ。他ニ比シテ幸福ヲ享クルコト少ナキハ何ゾヤ。或ハ曰フ彼等中有識者無キニアラザルモ多クハ是無智ノ民、決シテ他ト同等ナル能ハズト。(中略)彼等果シテ無智カ。先覚者何ゾ彼等ヲ教ヘザル。(中略)彼等豈教育ヲ受ルモ尚ホ覚ル能ハズ、指導ニ接スルモ尚ホ進ム能ハザル者ナランヤ。(中略)無智ヲ無智トシ、(中略)放棄シテ敢テ省ミル者無キモ国民ノ恥辱ナリ。『アイヌ』ヲ教ヘヨ。『アイヌ』ヲ導ケヨ。而シテ彼等ヲシテ他ト等シク自由ヲ得、他ト等シク幸福ヲ享ケシメヨ。『アイヌ』ヲ救育スル所以、亦是日本国民ノ品位ヲ高ムル所以ノ一端ナリ
(教育時論 第五四九号)

 これは、それまでの明治政府のアイヌ教育のあり方への批判に立って、その「推進」の必要性を指摘したものである。そこには日清戦争後、台湾を植民地化した当時の日本をとりまく国際的状況を踏まえ、国家の体裁を繕うための一つの方便として、アイヌ教育を「推進」するという国家の論理が前面に押し出されている。国家のためのアイヌ教育である。
 組織の名称でもある「救育」とはどのような意味であろうか。これは「救済」と「教育」の合成語であると考えられるが、それについてこう説明している。「救育トハ単ニ貧困者ニ金品ヲ与フルノ謂ニアラズ、窮境ニ陥ラントスル者ヲ救ヒテ之ニ自活ノ途ヲ授ケンガ為、適切ノ教育ヲ施スノ謂ナリ」(同前)。ここで説明している「救育」の意味は「北海道旧土人保護法」の立法趣旨と軌を一にし、同会の創立が明治国家のアイヌ政策を補完するものであったことを示している。