明治三十六年四月現在の札幌区の戸数は九一〇九戸であった。これだけの中都市の塵芥の処理、屎尿処理も、市街地の拡大、人口の増加によって次第に都市問題化されてきた。
ごみの処理については、明治二十年の塵芥取締規則(警察庁)ののち、三十三年に汚物掃除法が公布された。このときから塵芥の処理は公営になり、そのための経費は札幌区の経常支出の主な項目を占める大きな事業の一つとなった。その背後には、明治維新以降諸外国との交流に伴い、さまざまな伝染病も一緒にもたらされ、日本各地で猖獗をきわめ、人びとを死に至らしめていた。国家は国民に徴税や徴兵と同じくらいに衛生知識の教化・指導につとめる必要に迫られていた。汚物掃除法の公布も、悪疫の流行を未然に防止するためやむなく公費による塵芥処理となったものである。