「一身一家に就て御心配の方は一応警察署へ御相談ください」。これは大正十年十二月、札幌警察署および各派出所等に掲げられた人事相談所のペンキ塗り看板に書かれた内容である。
札幌警察署内に人事相談所が開設されたのは、看板を掲げた前年の二月で(北タイ 大9・2・4)、全国での設置は九年六月までに北海道以下三府二六県におよんだ(警察の社会史)。
人事相談所の開設は、それまでの警察行政のあり方を一八〇度転換させて、警察が積極的に一般民衆の味方となって社会との接点を拡大し、犯罪の未然防止策を講ずる必要性に迫られたからである。こうして警察行政の中に「予防警察」部門を設けていった。
札幌警察署内に人事相談所が開設された段階の新聞記事は、あまり多くは語らず、ただ「警察事故以外に民衆百般の相談、職業の紹介等を行う」(北タイ 大9・2・4)とあるのみである。
九年二月中旬より開始された人事相談所の仕事は、二月中で二一件、三月は三〇数件におよび、次第に忙しくなってきたようである。四月に受けた相談件数は三五件で、無断家出人保護説諭九件(男四、女五)、職業紹介九件(男のみ)、行旅病人保護一件(男のみ)、不良少年感化保護一件(男のみ)、住宅問題七件(男のみ)、その他一般(夫婦喧嘩その他)八件(男七、女一)となっていた(北タイ 大9・5・7)。このうち地方から出てきた若者など家出人は、不良の徒に誘惑されるのを未然に防ぐため親元等へ送り返した。また住宅問題は、おもに家主と借家人との争議に関するもので、家主がむやみに家賃の値上げを行ったり、立ち退きを強要するものが多く、親切に話を聞いてあげるのだった。中央では「失業者救済」の言葉さえ聞こえるようになった同年六月の札幌の場合、求職者よりも求人の申込みの方がまだ多かったという(北タイ 大9・6・28)。
十年七月になると、札幌の人事相談の件数もぐんと増した。一カ月間の相談件数は二四四件(男一八二、女七四)にのぼり、そのうち無断家出人一二九件(男九五、女四五)、職業紹介三件(女三)、家庭不和七件(男一五、女六)、その他一般人事一〇五件(男八七、女二〇)(編注・数値は一件に複数が関与か)と、家出人やその他一般人事の相談が増加した。それとともに女性の相談件数が増加したことが注目されよう(北タイ 大10・8・5)。
第一次大戦後のこの時期、地方から都市を目指して働きに家出してきた者、あるいは住宅問題・失業問題など社会的諸矛盾は、警察が開いた「相談」窓口にも如実に反映されていたのである。十年十一月十九日の『北海タイムス』は、「札幌署は漸次民衆化し時代に目覚めた施設」の見出しで、民衆警察を実現すべく従来の「民衆控所」の施設を改善して、椅子、机、煙草盆、新聞・雑誌等を備え付けるとともに、相談窓口の形式を改めることを報じた。警察の民衆化の現れである。