大正七年(一九一八)は、開拓使が設置されて北海道の本格的開拓が進められるようになってから五〇年目にあたることから、これを記念するなんらかの行事を行うべきであるという計画が、大正の初期から提唱されていた。そのさきがけともなったのが、大正二年春札幌記者俱楽部が五〇年記念事業として、①盛大なる記念式をあげる、②北海道史を編纂する、③博覧会を開催する、といった三つの意見を決議したのが最初らしい(新北海道史 第四巻)。
やがて同年中に北海道会に「開道五十年記念ニ関スル件」という建議案が提出され、全員の賛成によって可決、十二月一日議長から長官に提出された。
四年道庁内に開道五〇年記念事業調査委員会を設置して、同年十月「開道五十年記念北海道博覧会計画大要」が示された。それによれば、会期は七年八月一日より九月十九日までの五〇日間で札幌区を主会場とすること、出品点数は三万四〇〇〇点、一二の陳列館を持ち、予算総額は三三万円余と見積られたが、途中増築や物価・労賃の値上りのため追加され、最終的には総額四五万九三四九円となった。五年二月には「北海道博覧会準備委員会規程」が定められ、委員と分担が決まり、実行段階に入った。九月には「北海道博覧会規則」の設定によって、会長に俵長官、事務総長に橋本内務部長、そのほか参与、建築顧問などを決め、具体的実施に移った。
記念事業の実施にあたり、同年十一月二十六日、北海道博覧会(以下道博と略す)評議員会は道協賛会を設立、同時期の十二月六日には札幌区協賛会も設立され、道協賛会と連携して記念事業運営にあたることとした。