写真-7 日本美術院北海道展覧会開催の記事(北タイ 明34.10.10)
この北海道美術展の開催に関しては、岡倉らからの意向に園田道庁長官が賛同し、「長官より拓殖事業の進歩に隨ひ、漸次民間の文化を晋むへき必要あり、絵画は自ら人の思想を高尚優美し、能く品性を高からしめ、進て一国の文化を幇る事少なからさる者に付」地方人士の賛同を得るよう各支庁、区役所に通知した(道毎日 明34・6・19)。賛同とは賛助会員の募集で、その内容は第一種三〇〇円から第八種一五円まで八種に区分し、「其種類に相応せる絵画を募集し、会場内の一部に陳列して縦覧を許し、閉館後直ちに会員に寄贈」(明34・7・20)するとされた。おそらく実際は前もって展示作品を購入するということであろう。同美術院は私設のものであるから、経営上このような措置が必要であったと思われる。
同展は陳列絵画六〇〇点、美術工芸品等も数百点で、たとえばすでに老大家であり美術院幹事であった橋本雅邦をはじめ、川端玉章、下村観山、富岡永観、河井玉堂、横山大観、菱田春草、尾竹国観などの優れた画家の作品が並び、地元に大きな感銘と影響を与えたと思われる。
さらに同展覧会は、一年おいた三十六年七月十二日から十九日までの日程で再び開催された。大通東二丁目北海女学校跡を会場とし、おそらく会場の広さの関係であろう、十七日にすべての絵を掛け替えている。前半の部分で新聞記事が大幅中すぐれたものとして挙げている画家の作者名は、菱田春草、橋本雅邦、岡田桜村、下村観山、飛田周山、木村武山、池田照方で、代価は四~五円から四〇〇円までと記されている(北タイ 明36・7・16)。