三十八年十二月、店舗の拡張にともない冨貴堂は再び移転する。玉振堂とほぼ同時期に存在していた振進堂(店主萱間左右太)から店舗・住宅・商品全部を譲受け、翌年三月、南一条西三丁目(現パルコ)へ移転した。この時、振進堂から国定教科書の北海道中部販売権をも継承している。この教科書取り扱いにより、学用品・文房具類の注文が増加した。
教科書は三十六年以前は東京の書店(金港堂や三省堂など)から個別に送られてきていたが、以後は「国定教科書」として東京の供給所からまとめて送られてくるようになった。その受入れとして南部(函館 魁文社)、中部(札幌 冨貴堂)、北部(小樽 近江堂)の三店が分担していた。その後それが統合されて一本化し、札幌から全道に送られるようになったことで、冨貴堂は飛躍的に発展していった(七十年のあゆみ 冨貴堂小史)。
なお、四十三年に冨貴堂より発行された『現今の札幌』(明43)の広告によると、冨貴堂の活動内容は以下のようであった。
書籍 汽車の札幌に着する毎に日々の新刊書籍、雑誌を載せ来りて、店頭常に新らしく珍らし、顧客に向って絶えず清新の趣味と快感を供するを信ず、本道来住の士札幌を訪はるゝの時冨貴堂に駕を狂(枉カ)ぐるを忘れ給ふ勿れ
楽器 日本第一の山葉オルガンを始み(ママ)〇鈴木ヴワイオリン〇マンドリン〇手風琴〇ハーモニカ
其他各楽器の附属品より独習書に至る迄豊富なる準備あり
文房具 大中小の各学校用を始め官庁、会社、銀行等あらゆる方面に用ふる実用向、装飾向、頗るハイカラなる内外の文房具を陳列せり
運動具 冬期用としてはスケート、ピンポンの類、融雪後は野外用ローンテニス、べースボールに要する一式其他学校用球竿、啞鈴等悉く完備せり
欧米名画額面 比較的価廉にして印刷の妙を極む、お座敷用、書斎用として高尚優雅、各種商店の装飾として亦妙、景色、動物、花卉、果物等千種万様
絵葉書 当区は勿論汎く全道各地の名勝絵はがきを網羅し続々新版発行を怠らず四季折をり、臨機応変、供給機敏
楽器 日本第一の山葉オルガンを始み(ママ)〇鈴木ヴワイオリン〇マンドリン〇手風琴〇ハーモニカ
其他各楽器の附属品より独習書に至る迄豊富なる準備あり
文房具 大中小の各学校用を始め官庁、会社、銀行等あらゆる方面に用ふる実用向、装飾向、頗るハイカラなる内外の文房具を陳列せり
運動具 冬期用としてはスケート、ピンポンの類、融雪後は野外用ローンテニス、べースボールに要する一式其他学校用球竿、啞鈴等悉く完備せり
欧米名画額面 比較的価廉にして印刷の妙を極む、お座敷用、書斎用として高尚優雅、各種商店の装飾として亦妙、景色、動物、花卉、果物等千種万様
絵葉書 当区は勿論汎く全道各地の名勝絵はがきを網羅し続々新版発行を怠らず四季折をり、臨機応変、供給機敏
また、『札樽便覧』では「幌都書肆の巨なるものにして、設備の完全と店員の柔順にして丁寧なるは、同店の特色なる可く、価の多少を論ぜず苟も注文に対しては懇切誠実且つ迅速配達等、陳列書籍は忽ちにして求むる書籍の有無を知る可く、新刊書籍の如きは、到着必ずや他店の魁たり」と紹介されている。