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手稲村

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 手稲村は二級町村であったので道庁官吏が任免されており、歴代の村長は以下の通りであった(手稲町誌 上巻、一部訂正)。中崎正敏(大7・4・1~13・2月)、坂本忠親(大13・2~昭2・8月)、鹿目徳親(昭2・9・1~5・1月)、川合新三郎(昭5・1・20~7・11月)、畠山定吉(昭7・11・1~11・1・30)、星野毅(昭11・1・30~16・5・15)、山田信一郎(昭16・5・15~20・4・20)、二階堂信次(昭20・4・20~21・11月)。
 手稲村も二級町村であったせいか、村政に関する紛議は伝えられておらず、ほぼ平穏な村政の状況であったとみられる。
 村内の自治団体をみると、大正十年一月に手稲村自治会が組織されている。同会は開村五〇周年記念として創設されたものであるが、従来同村は「村民和衷共同の実を欠き、進取の気性に乏しきを遺憾」として中崎村長が有志とはかって組織したもので、世帯主を会員とし「村民和衷協同、自治の振興発展」を目的としていた。一月十七日に下手稲村にて発会式が行われたが、協議事項には開村五〇年祭挙行、学齡児童就学歩合の向上、農業金融上信用組合の拡充、青年団の活動促進、副業奨励、在郷軍人の公事関与、村治報告、耕地拡張、水田造成、乳牛飼養奨励、以上の一〇項の方法が提起されていた(北タイ 大10・1・16、19)。ただし官製的な組織で永く存続していた様子はないが、官民一体となったこのような会ができたことは重要である。
 村自治に関した組織としては、昭和二年九月十一日に村の発展振興を協議する手稲(軽川)昭和会(会長近藤新太郎)が発会している。四年一月の総会では道路網の測量、村医の招聘促進運動などにつき協議していた(北タイ 昭4・1・10)。また昭和四年三月三日に上手稲にて手稲自治協会が発会しており、村政批判演説会も開かれているが(同前)、その後の動向は不明である。
 役場庁舎は元陸軍省無線電信所の建物を五年に払下げを受けていたが、それを移設・改築して八年十二月四日に村功労者表彰式と共に移庁式を行っている。