一方、政府は大正十年四月軌道法を公布した。その第一八条には「国又ハ公共団体ニ於テ公益上ノ必要ニ因リ軌道ノ全部又ハ一部及其ノ附属物件ヲ買収セムトスルトキハ軌道経営者ハ之ヲ拒ムコトヲ得ス」とある(官報第二六〇八号 大10・4・14)。また札幌市は、区制施行後から市街地に馬車鉄道や電気軌道を公営で敷設する方針を持っていた(市史第三巻一章及び五章参照)。十三年一月一日軌道法が施行され(官報第三三九九号 大12・12・20)、四月二十九、三十日と道内の経営者が集められ北海道軌道会議が開かれ、軌道法の逐条の説明がなされた(北タイ 大13・4・30)。さらに札幌市では上水道敷設にともなう政策の中に、発電事業の公営化も含まれ、その電気の使い道についても考慮する必要があり、札幌電気軌道会社を買収する計画が持ち上がった。
当初の新聞報道では、電車会社買収を検討した臨時水道及電業調査委員会では、各委員は電車買収に消極的であったようだ(北タイ 大13・5・18)。買収に積極的であった某氏は「将来都市計画に伴ふ諸般の設備と共に、的確な財源を得る唯一の方法としては、先づ電車市営を断行しなければならない」とし、公益上からも設備の充実のためにも市営化が必要であると語っている(北タイ 大13・7・4)。その秋には臨時水道及電業調査委員会では、第三水利権を獲得して水力電気を買収することを条件に、電気軌道の買収を暫定的に決定した(北タイ 大13・10・15、大正十三年札幌市事務報告)。そこで十二月の市会で、「電気軌道買収ノ件」が提出され、若干の質疑で可決された(札幌市会会議録 大13)。