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北海道中央乗合自動車株式会社

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 戦争の深刻化に伴い乗合自動車の営業を統制する事になり、後志、石狩、空知の地区の二一の民営乗合自動車会社が合同し、昭和十八年三月一日、北海道中央乗合自動車株式会社として仮営業を開始し、十二月一日運輸大臣の認可、十九年一月二十七日設立登記された。合同した当時に、現在の札幌市域に関係した会社と路線は、前述の札幌自動車合資会社札幌観江バス株式会社以外は、定山渓鉄道株式会社が持っていた札幌駅前~豊平間、札幌駅前~定山渓間、それと小樽定山渓自動車株式会社が持っていた小樽汐見台~朝里豊倉~定山渓間があった。
 その後戦争の深刻化とともに、さらに統制が加えられ、十九年六月には旅客自動車交通事業決戦非常措置がとられて、営業路線が指定された。これで北海道中央乗合自動車株式会社が現在の札幌市域で指定された路線は、豊平~月寒~二里塚(五・九キロメートル、豊平月寒間は折り返し運行、月寒二里塚間は一日二往復運行)、札幌~石狩(二四キロメートル、札幌茨戸間は五往復運行、札幌石狩は九往復運行)であった(二十五年史)。