札幌市における機械・金属工業は機械器具製造が主流であり、『札幌商工会議所統計年報』によると、大正十四年には機械・金属関係の八三工場のうち六六工場を占めており、職工数は一三二五人であった。一工場当たり二〇人の職工数となるが、実際に二〇人以上の民間工場は後述の六カ所にとどまり、札幌鉄道局苗穂工場の八八八人によって平均値が上がっているものであった。昭和に入り工場数は減るが、やはり八割近くは機械器具製造であった。次に鋳物であり、この二種で九割を占めることになる。機械器具の品目をみると、昭和十四年の場合、採鉱選鉱及び精錬機械器具、車輌・船舶・航空機部分品、この二種が工産額でそれぞれ六〇〇万円台を示し最も主要な品目であったといえるが、前者は十五年に一〇〇〇万円台へと伸びるのに対して、後者は九四万円に急減しており、最も主要で安定的な製造品目は前者であった。十五年では製造加工用、農業用機械器具、及びその他の機械器具が一〇〇万円台の工産額に達していた。
大正十五年における職工数が二〇人以上の大規模工場は、①五十嵐鉄工場(北7西11 五十嵐猶四郎 明34・5創業)、②碌々商会札幌製作工場(北4西4、大7・8)、③宮前鉄工所(北6西7 宮前九平、大8・3)、④今田鉄工場(北5東3 今田福馬、明39・7)であったが、他にも精銅の東洋製線工場(北10東2、大9・4)、度量衡器製造時計修繕工場(南2西2、大4・6)などがあった。宮前鉄工所は鋳物工場でもあり、機械、電気器具、ストーブ、農具、建築金具を製造していた。
これが昭和十三年に至ると三〇人以上の工場は上記の②③④のほかに、北海特殊鋳物工場(雁来町、昭2・6)、伊藤組鉄工場(北4東8、明42・10)、中山商店鉄工場(北2東13、大9・9)、藤屋鉄工場(北3東15、明30・1)などが規模を拡大してきていた。中山商店は道内でも有数の機械商でもあった。ただし金属工業の中で自動車修繕を除いた一三〇工場のうち、七工場にしか過ぎなく、ほとんどが零細規模の工場であったのである。
戦時中は主要工場が軍需工場に指定となり、藤屋鉄工場は高射精密照準器、中山商店鉄工場は焼玉エンジン、また金子・札幌工作機械場は産業工作機械を製造するようになっていた。