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工業組合と訓練施設

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 この時期には各種の同業組合と工業組合が創設されている。まず明治四十一年一月に、目的が「徒弟職工精勤者へ褒賞品贈与並不幸弔慰」とされた札幌鉄工業組合が創設されていた(札幌区統計一班)。大正十年七月四日に札幌機械製造組合が設立認可となっており、昭和四年頃には札幌農具機械業組合も創設されている。その後、昭和十一年五月に札幌鋳物組合と札幌鉄工工業組合は、工業組合法による工業組合の組織を計画し、札幌鋳造工業組合(昭11・10・19設立認可)と札幌鉄工機械器具工業組合が創設されている。前者の事業は生産調節、価格協定、共同販売、原料・材料共同購入、取引先指定、資金貸付、貯金受入れであり、後者は、「一、統制(生産調節、価格協定原料・原料及一部材料ノ共同購入、取引先ノ指定)。二、営業ニ必要ナル物ノ供給。三、営業ニ関スル指導、研究、調査。四、共同設備。五、資金ノ貸付及貯金ノ受入」となっていた(札幌商工人名録 昭12)。工業組合としては他に札幌鉄製品工業組合が十三年六月二十三日に創設されている。
 戦時体制に入ると、十五年八月一日に札幌鉄工業産業報国会が結成され、十六年六月八日には市内一七カ所の鋳造工場の従業員一七五人で結成された札幌鋳造産業報国会の結成式も行われていた。
 次に訓練施設をみてみる。戦時体制に入り、機械工の不足が生産力拡充の障害として問題になってきた。十三年に商工省では府県市、工業組合に補助金を交付して機械工の養成所の設置を進めていくようになる。札幌市でも十三年十月に機械工訓練所(北24西1)を設立していた。訓練所は一年制であり十四年には一期生二三人、二期生三一人が訓練中であったが、「産業報国の精神に燃ゆる機械工を養成するを根本とし総て軍隊式教育に則」っていたという(北タイ 昭14・8・24)。また札幌職業紹介所でも十四年五月に、「銃後機械産業戦士を養成」する目的で機械工輔導所札幌工業学校内に開設していた(北タイ 昭14・5・27)。