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化学工業

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 化学工業は大正初期まではガラス製品が唯一のものであったが、大正中期からはゴム製品、石炭ガス、製薬、コンクリート製品などが加わり多彩なものとなっていく。この中で、工産額ではゴム製品が五割を占めるほどの最大業種であり、続いてガラス製品、コンクリート製品であった。昭和十二年からは製薬も大きな割合を占めるようになってくる(札幌商工会議所統計年報)。工場数は一四~二〇の範囲内を推移していた。
 ゴム工業は札幌と共に小樽も盛んであった。当初は神戸、アメリカ製品が優位で道産品は劣等視されていたのであったが、やがてゴム長靴を中心に優良品として販路が拡大されていくようになる。「札樽のゴム工業__万丈の気焔を挙ぐ」と題した報道(北タイ 昭11・4・14)は、常盤ゴムの所員によって語られたものであるが、這般の状況をよく伝えている。
営業者等の努力により技術著るしく進歩し外国品の防遏せるは勿論、内地製品をも道内より一掃し反対に道外に移出さるに至ってゐる。特に札、樽の両市は気候の関係から製品は耐久力強く、且比較的安価に生産し得ると云ふ恵まれた条件の下に全道工場の大部分は、この両市に於て占め札幌には約七つ、小樽に十に工場を数へるに至って居る。而してその製品の約七割迄が東北六県、新潟県にまで進出し益その声価を認められて居る状態である。今後はこの好条件により札樽のゴム工業は益発展するものと思はれる云々。

 ゴム工業は道内では函館も盛んであったが、道内企業のゴム製品は国内のみならず樺太、朝鮮、満州、中国などにも輸出されていたのである。