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抑圧取締の拡大

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 数次の全協事件により「本道ノ共産主義運動ノ組織ハ全ク潰滅セリ」(本道ニ於ケル最近ノ極左運動概況)という状況になったあとも、取締当局の抑圧は拡大し続けた。まず、日中戦争の全面化した昭和十二年十二月、全国的な人民戦線事件の一環として、島田正策ら社会大衆党札幌支部の活動家が検挙された。「各種紛争議の煽動介在、失業反対賃上闘争、大衆課税反対、等に付関係官公署其の他に陳情又は抗議を為し、且つ同志の意識昂揚の為随時研究会、座談会を開催しつつありたるもの」(札幌控訴院管内概況)という合法活動が治安維持法違反に問われた。新聞が「合法場面を利用し又は合法偽装の手段による反ファッショ人民戦線的運動によって一般大衆に戦争忌避の念を高めんとする活動空気が濃厚となり」(樽新 昭12・12・22号外)と報じるように、明らかに戦争遂行態勢の障害とみなされたものの排除であった。
 ついで、十三年五月には北大新文化事件とよばれる弾圧が加えられ、一四人が検挙された(全員起訴猶予)。自然科学研究会技術科学研究会などの活動が、「凡ゆる角度より我国資本主義を分析評価し、其の矛盾欠陥を暴露指摘して之に共産主義思想を浸透せしめ、且実践的訓練を施し自己の陣営内に獲得してプロレタリア解放運動の一翼たらしめ、以て日本共産党の目的達成に努力せむことを決意し」(札幌控訴院管内概況)とこじつけられ、治安維持法の目的遂行罪の適用となったのである。
 こうした弾圧は、「今日の時勢に於ては苟も犯罪の巣窟其の源泉が目に映じた以上、直ちに其処に検挙のメスを入れることが賢明妥当なる処置」(十三年十一月の特高・司法主任会議における札幌地裁検事正樫田忠美の訓示――札幌地裁検事局 司法警察官吏実務修習及特高主任司法主任会議並警察署巡回指導記録―以下指導記録と略―第三輯)という方針に基づいて断行された。その結果、十四年六月の全国思想実務家会同で、札幌控訴院小川益太郎検事は「思想関係に付きましては油断は出来ませぬが概して平静」と述べることになる(思想研究資料特輯 第六四輯)。