昭和十六年(一九四一)三月の治安維持法の全面的な「改正」により、非転向の思想犯を隔離拘禁しうる予防拘禁制度が導入された。また七月末には対米英戦争に向けて「反戦反軍其ノ他不穏策動ヲ積極的ニ為ス虞アリト認ムル者」に対する「非常措置」としての予防検束が準備されていた(内務省 非常措置、通牒、治安維持法対策一括)。これらが開戦直後の十二月九日の早朝に発動され、
札幌では一五人以上が検挙検束された。このうち、上馨ら四人が予防拘禁とされ、東京の予防拘禁所に送られた(思想月報 第九四号 昭17・5)。人民戦線事件で獄中にあった
武内清は、十七年非転向のまま
札幌刑務所を出獄すると同時に東京予防拘禁所に送られた。
写真-6 予防拘禁所収容者と職員