札幌控訴院では、昭和二十年八月一日、管内の思想実務家会同を開催したが、札幌地検では沖縄戦や国内空襲の激化により「国民間に厭戦的気分の醸成を見るに至れり」と観測し、その「充分なる監視」を訴えるとともに、強制連行した朝鮮人・中国人労働者の動静をもっとも警戒すべきとしている。他の検事局の認識も同様である。この会同で確認されたことは「道内の特殊事情は労務の不足と主食物の不足となり。……対策は戦意の昂揚以外になし」(季刊現代史 第三号)ということであった。
それゆえ、敗戦の事態に治安の維持はますます重視された。特高警察も思想検事もその機能を総動員し、治安維持法を筆頭とするあらゆる抑圧取締法令も存続した。刑務所における思想犯の解放もなされなかった。八月十六日、道警察部は内務省に対し「一般道民は呆然の態にて、殊に未だ敵の占領其の他の条件等の切実感なき為特別の動向認められず」(戦略爆撃調査団資料)などの情報を速報している。こうした状況は、十月四日、GHQ/SCAPの「人権指令」による抑圧取締体制の停止と解体まで続く。