娼妓は、常に病気と背中合せの稼業であった。昭和六年札幌白石遊廓に在籍の娼妓は、表15で示したとおり二五四人であった。娼妓たちは定期的に健康診断を義務付けられていたが、同年の場合梅毒感染者は七七人、三〇・三パーセント、淋病二三七人、その他一二〇人、計四三四人という具合に、一人で二つ以上の疾病におかされている状況であった(北海道庁統計書)。感染者は庁立治療院に入院して治療を受けねばならず(治療費は官費、食費の半額は地方費補助)、借金返済のためには健康体で稼業をこなさなければならなかった。大正二年から「健康娼妓」を表彰する制度を設けてきたが、昭和二年十月の場合、二一三人中二年間健康者二人、一年間健康者三五人(北タイ 昭2・10・11)と、年々成績は下がる一方であった。これからも、いかに健康体を維持するのが困難か知られよう。