昭和二年十一月、文部大臣・水野錬太郎は訓令「児童生徒ノ個性尊重及職業指導ニ関スル件」を各地方長官宛に発した。これは「学校ニ於テ児童生徒ノ心身ノ傾向等ニ稽ヘテ適切ナ」教育を実践するとともに、卒業者の「進路ニ関シ青少年ヲシテ其ノ性能ノ適スル所ニ向ハシムルハ時勢ノ進歩ト社会ノ推移トニ照シ洵ニ喫緊ノ要務」であるとの基本的認識を示したうえで、「学校ニ在リテハ平素ヨリ児童生徒ノ個性ノ調査ノ調査ヲ行ヒ其ノ環境ヲモ顧慮シテ実際ニ適切ナル教育ヲ施シ各人ノ長所ヲ発揮セシメ職業ノ撰択等ニ関シ懇切周到ニ指導スルコトヲ」指示した。そして、これを通して「国民精神ヲ啓培スルト共ニ職業ニ関スル理解ヲ得シメ勤労ヲ重ムスル習性ヲ養」うことが、「教育ノ本旨」の達成に繫がっていくと論じた。
この訓令と同時に各地方長官宛に発した文部次官通牒には、そのための具体的な留意事項が掲げられている。それによれば、「児童生徒ノ個性、環境等観察調査ノ方法及記入ノ様式ニ関シテハ学校当事者ヲシテ特ニ研究工夫セシムルコト」「学校当事者ヲシテ職業紹介所等トノ連絡ヲ密接ナラシムルコト」などに加えて、訓令の趣旨を「父兄保護者等ニ徹底セシムルコト」を指示した。
この訓令はその直前に公布され、中学校への入学者の選抜に際して、学科試験制度の廃止を規定した「中学校令施行規則」中改正とワンセットとして把握することによって、はじめてその意図を明確にすることができる。すなわち、大正中期から札幌も含めて全国的な中等学校への進学ブームの高まりは、小学校での「受験準備教育」を日常化させるとともに、受験競争に拍車をかけ、「試験地獄」と称される様相を呈していた。この訓令は中等学校への入学者を抑制し、それを緩和するための方策として、大正十四年の通牒の趣旨をさらに深め、「児童生徒ノ個性尊重」の名のもとに、小学校に「職業指導」を積極的に導入することを意図していた。この訓令によって、学校が小学生卒業者の進路の決定に深く関与することとなり、その「社会的配分機能」(木村元 近代日本義務制小学校における社会的機能の新展開)をいっそう強固なものにしていった。この訓令には深刻化する経済不況対策として、職業紹介事業を積極的に推進しようとしていた内務省サイドからの働きかけが大きく影響していたと思われる(同前)。
札幌市でもこの訓令の趣旨に沿って、小学生卒業者への「職業指導」が本格化し、新たに展開を見せることになった。