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占領軍の交代

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 第七七師団が昭和二十一年(一九四六)二月に帰還したあと、ノースカロライナの出身兵から成る第一一空挺師団が進駐した。師団長は、スイング少将、ついでマイレイ少将に代わった。
 昭和二十四年(一九四九)二月、バー少将の率いる第七歩兵師団が真駒内に進駐、翌年の朝鮮戦争で動員された。それに代わったのがオクラホマ州兵の第四五歩兵師団である。司令官スタイロン少将は、道民に「自由を守り、日本人を愛し、世界平和を維持するため第四十五師団は当地に進駐している」とメッセージを送っている('52道年鑑)。この師団は朝鮮戦線への増強部隊的色彩が強く、激しい戦闘訓練をおこなって、約一〇カ月後には出動した。そのあとは、第一騎兵師団が二十九年十一月の撤退時まで駐屯した。
 朝鮮戦争の開戦にともない、第八軍司令部が朝鮮に移動すると、横浜には「在日兵站司令部」がおかれた。その下に、新潟・福島両県以北を管轄するノーザン・コマンドが創設され、司令部を札幌においた(二十六年四月に仙台に移転)。ノーザン・コマンドは旧第七歩兵師団を基幹とした(横浜市史Ⅱ)。司令官はE・パイバーン准将、ついでA・C・タイシエン准将が引き継いだ。