五月七日、高田市長の下で初の市議会が開催された。高田は施政方針演説で、①主食糧の配給の改善、②アパート建設などによる住宅問題の緩和、③塵芥・炭殻・屎尿処理の計画樹立、④道路の修繕、⑤電車・バスの運行確保、⑥六・三制の実施法の研究、⑦市の機構改革、⑧市支所の拡充、の八つを当面の市政において実行すべき重要事項としてあげた(七期小史)。財源不足が甚だしかったこの時期、これら当面の緊急課題に対処するために、また都市発展計画を立てて将来の都市建設事業の実施に備えるために、市長の諮問機関として複数の専門委員会を昭和二十二年六月二十五日に設置した。
緊急課題への対処のためには住宅、交通、燃料、食糧、清掃の各専門委員会が設置された。特に食糧、燃料の両委員会は配給制度のもとで配給の正常化のために設置された。これらは二十四年一月から二十六年五月の間に廃止されている(なお二十四年九月に失業対策専門委員会が設置された)。将来計画の構想のために設置されたのが臨時振興専門委員会で、上原市長時代に置かれた産業振興委員会を改組して設置されたものである。目的は札幌市と周辺町村地域の総合開発方策を立案することであった。会長を伊藤豊次札幌商工会議所会頭、副会長を福島利雄市議会議長とし、商業、工業、農林業、都市計画、文化厚生の五つの分科会を置いた。委員は中途での四人の退任者を含めて一三三人で、道議、市議、大学教授の他、北海道の代表的な経済団体・企業、官公署の代表が網羅されていた。各分科会には三から一二の小分科会が置かれた。委員会、分科会、小分科会の会議は延べで二二二回開催された。二十三年十二月、二段組で二〇〇頁を超える答申書が刊行された。そこでは実施時期を短期実施と将来実施に区分し、実施主体を国・道・市・周辺町村・民間などに区分して想定した多岐にわたる「実施項目」があげられている(札幌市臨時振興専門委員会答申書)。