臨時吏員派出区の廃止後、市は再び市役所の委任事務を行う市末端行政機構の設置を目指す。昭和二十二年五月、市は「さきに市民会組織の際に設置した派出所を『札幌市役所××支所』と全市に七十カ所程度で世帯受持ち平均数八百戸標準に世帯台帳整理、居住転出証明、無職証明、配給物資の按分、その他従前から公区が扱つてきた業務一切を行う準備を進めてい」たのである(道新 昭22・5・15)。
同月二十四日に市議会で札幌市役所支所設置条例が議決され、道庁へ申請した。ところが、二十八日にこれが却下され、「支所の設置は開設予定日の六月一日を寸前に控え立消えとな」ったのである(道新 昭22・5・30)。市がこの問題に関して道庁へ質問書を提出するなど(道新 昭22・6・7)、若干の紛糾を見せた。しかし、結局支所は設置されることなく終わっている。
支所に代わるものとして新たに構想されたのが市役所出張所である。市では、支所設置の申請が道庁によって却下された直後、二一の出張所を設置することを決定した(道新 昭22・5・30)。
ところで、前述した政令第一五号の施行に関する内務次官通牒が同年五月十四日に発せられている。この中で「市区町村において出張所又は駐在員事務所を設置する場合に於ては、その受け持つ区域は人口一万五千又は面積四万平方粁を標準として定めなければならない」とされていた(自治史)。出張所の設置は、これに基づいて行われたものであった(昭22 事務)。市は同年六月一日に札幌市役所出張所設置規則を公布し、同日から実施した(広報 昭22・7・10)。これによって、市内二一カ所に出張所が設置されたのである。
なお、同年九月二十九日の市議会における高田市長発言によると、出張所の職員は「先の公区の事務に従事した人々にお願いした」といい(昭22 四定速記録)、人的には公区との継続性が一定程度見られた。