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敗戦後の警察

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 八月十五日直後の道内の情勢について「一般道民は呆然(ぼうぜん)の態」(民心の動向 資料日本現代史2)などと中央に報告した北海道の警察部にとって、治安の維持は最大の課題となった。九月中旬から計画された警察力の整備拡充計画は、占領軍の進駐にともない一頓挫をきたし、さらに特高警察の解体も打撃となった。しかし、とくに頻発する朝鮮人・中国人の集団騒擾に対しては「治安確保上特ニ集団的警備力ヲ必要トスル警備業務上ニ付専ラ集団機動的ニ」(長官事務引継文書)行動する警備隊が出動して鎮圧と警戒にあたるなど、社会運動の抑圧取締の姿勢は戦前を踏襲していた。それは、昭和二十一年(一九四六)以降、労働運動に対する警備公安警察による抑圧として顕在化していった(北の特高警察)。
 一方で、警察民主化への試みもなされつつあった。二十一年二月には札幌署で「文化講座」が企画され、第一回目は「アメリカの民主主義について」の講演などがなされた(道新 昭21・2・3)。また、五月十日には札幌署で巡査部長以下からなる職員組合が結成され、待遇改善や公平な人事などを求める決議をおこなっている(道新 昭21・5・11)。