昭和二十六年(一九五一)四月、第二回統一地方選挙が実施された。市長選は四月二十三日に行われ、高田富與が市長に再選された。社会党札幌支部は一旦渡辺惣蔵を候補に擁立したが、結局取りやめとなり、対抗馬を立てることができなかった(道新 昭26・4・3夕)。無投票の可能性が高まったが、立候補届出締め切り当日に共産党から杉之原舜一(弁護士・元北海道大学教授)が立候補し、選挙戦が行われた。結果は、高田一〇万九六六六票、杉之原一万七四八二票で、高田の圧勝であった。
同時に行われた戦後二回目の市議選は、一四一人の立候補者が四八議席を争い、競争率三倍となった。結果は、国民民主党一六、社会党五、自由党二、労働者農民党一、無所属二四であった。前回の市議選に比べて、民主党が三議席増、社会党が四議席減、無所属は七議席増えた。元職が六人いたが(うち五人は民主党)、新人議員も過半数の二五人にのぼった。
四月三十日に実施された北海道知事選挙では田中敏文(社会党)が九一万票を獲得して七七万票の黒沢酉蔵(無所属)を破り、再選された。前回と異なり、札幌市でも田中が保守派候補を一万七〇〇〇票ほど上回った。同時に実施された道議選は、全道では自由党二四、社会党二一、農民協同党二一、国民民主党一一、労農党五、無所属一一という結果となったが、札幌市では自由党二、社会党二、民主党二、労農党一、得票数では三万四六九〇票を獲得した民主党が最も多く、農村部と違って民主党の勢力の強さが特徴であった。