昭和三十年(一九五五)四月、第三回統一地方選挙が実施された。市長選は四月三十日に行われ、高田富與(無所属)が市長に三選された。札幌地区労・社会党札幌支部は候補者を擁立できず、今回も立候補届出締め切り当日に共産党から廣谷俊二(党役員)が立候補して選挙が行われた。結果は、高田一一万八四二五票、廣谷二万三三八四票で、高田の圧勝であった。
同日に実施された市議選では、九四人の立候補者が四八議席を争った。結果は、左派社会党八、民主党二、自由党一、労農党一、共産党一、無所属三五となった。左派社会党が増えて第一党となり、共産党が初めて議席を獲得した。これにより革新勢力は六人から一〇人に増加したが、民主党が減少した分、無所属が大きく増えており、全体として保守派が優勢であることに変わりはない。新人議員は一七人で、現職(二六人)が多く当選したのは前回の選挙との違いである。
市長選・市議選より前の四月二十三日に実施された北海道知事選挙では田中敏文(無所属)が五〇万票以上の差をつけて、大差で保守系候補西川三次(無所属)を破り、三選された。田中の得票は農村部で西川を大きく上回っていたが、札幌市では一万二〇〇〇票差しかなかった。同時に実施された道議選は、全道では左派社会党二六、右派社会党一〇、民主党一九、自由党一五、協同クラブ一〇、労農党四、無所属九という結果となったが、札幌市では民主党三、左派社会党二、自由党一、労農党一、無所属一で、札幌市ではやはり民主党が強く、次いで左派社会党が有力であった。