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五五年体制成立までの札幌の総選挙

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 昭和二十二年(一九四七)四月の総選挙で社会党が第一党となったが、社会・民主・国民協同三党連立の片山内閣、芦田内閣が相次いで崩壊し、第二次吉田内閣が成立した。二十四年一月実施された総選挙の結果は二六九議席を獲得した民主自由党の大勝であり、連立三党は大きく議席を減らした。北海道でも民主自由党が第一党となり、社会党は議席を失った。札幌市を含む第一区は、民主自由党三、民主党一、諸派一という結果となった。
 社会党は平和条約・安保条約をめぐって、二十六年に左右両派に分裂する。しかし、二十七年、二十八年のいわゆる抜き打ち解散、バカヤロー解散によって自由党は議席を大きく減らし、両派社会党が躍進した。三十年二月の総選挙では民主党が一八五議席で第一党となったが、両派社会党は改憲阻止に必要な三分の一の議席数の一五六に達した。
 三十年(一九五五)、社会党は統一を果たし、自由民主党が発足した。いわゆる五五年体制の成立である。五五年体制成立までの五年余り、政局は大きく揺れ動いたが、札幌の総選挙の結果は比較的安定していた。二十七年、二十八年、三十年のいずれの選挙でも、札幌市を含む第一区では改進党または民主党系二、左派社会党二、自由党一という議席配分が続く。この時期、市議選では社会党はそれほど大きな勢力ではなかったが、国政選挙では改進党・民主党系と社会党(左派)が拮抗し合う勢力配置になっていた。